2005.11.6
受益者の声 (ジャララバード)
夫(故Abdul Wakil 氏)を亡くした婦人 (Behsood 地区Qasaba 村)
私の夫は戦死しました。私は8人の子どもを食べさせることができないためパキスタンのペシャワールに難民として移住しました。
2003年に故郷のアフガニスタンに戻ると自宅は完全に崩壊しており、再建できるお金はありませんでした。
国連ハビタットがジャララバードで「アフガニスタンまちづくり再建事業」を開始した時Wakil(町内の代表)が受益者候補リストを作成し提出しました。
幸運にも私たち家族は受益者に選出されたのです。家族で力を合わせて2部屋の壁を作り上げました。そしてこの再建事業から鉄の梁材、屋根のブロック、戸口と窓の枠を受け取りました(418 ドル相当)。
定期的に国連ハビタットの現地事務所のスタッフが私と家族の建設技術指導のために訪問してくれました。2ヶ月で私たちの家は出来上がりました。
私たち家族が安心して暮らせる家ができたことでやっと普通の生活に戻れとても感謝しています。
夫(故Abdul Baqi 氏)を亡くした婦人 (Behsood 地区Qasaba 村)
内戦中私たちはパキスタンに仕事を求めて移住しましたが1994年にジャララバードに戻り、夫が日雇い労働で稼ぐお金で借家に住んでいました。しかし1998年に夫が亡くなってからは家賃が払えなくなりました。
私にまともな仕事ができるだけの教育もないので子ども達が道で水を売って家計を支えました。
やっと小さな土地を手にいれて1部屋だけの粗末な家に暮らしていましたが、国連ハビタットが開始した事業の受益家族に選ばれて2部屋の家を建てる機会に恵まれたのです。
建設作業は大変でしたが自分達の家を建てるという喜びがありました。住宅材料を受け取り、コミュニティにも助けてもらって完成しました。
「誰がこの家を建ててくれたのか?」と聞かれたら私は誇らしげに「日本の人々です。」と答えています。
Haji Noor Said Khan 氏 (Najmul Jehad 地区)
私は帰還民です。他の多くの土地なし帰還民とともにジャララバード政府から小さな土地を分けてもらいました。
家を建設し始めたのですがこの地区に給水設備はなく、水が不足して作業が進まず途方に暮れました。私たち家族は高い飲料水を買って飲まなくてはなりませんでした。
日本政府の支援で国連ハビタットが実施している水供給の事業が2004年に私たちの地区でも開始されました。本当にありがたいことです。私たちの家に給水のネットワークがつながったのです。きれいな飲み水が自宅で飲めるようになりました。
市にこの水施設の税金を払わなくてはなりませんが、以前を購入していた水代よりずっと安くて済みます。水がある生活をくれた日本政府と国連ハビタットに心から感謝しています。